あけましておめでとうごいます!

 
 

新年あけましておめでとうございます
さて、昨年は、東日本大震災という我々日本人の心の中で未来永劫に忘れることができないほどの出来事がありました。地震に伴い発生した津波により、多くの尊い命が犠牲となりました。その様子を報道で見るたびに深い哀しみと、何もすることができない自身の無力さに腹立たしささえ覚えました。誰もが、あらためて「生きる」という意味を強く感じ、人との「絆」の大切さを深く考えた年となったのではないでしょうか。

我が国は、いにしえより、地震により多くの被害を繰り返し受けていたことが古事記の記録にも残されております。先人達はその天災の怖さを畏怖慄くだけでなく、時に厳しい自然と向き合い、対峙してきました。そして今日、それらを教訓にした新しい建築構造や防災対策などで磐石な体勢が構築されている筈と信じておりました。しかし、自然の力は、人の想像をはるかに超えることを今回の震災で痛感させられました。

今回の震災は原発事故を誘発し、今までに経験したことのない放射能汚染まで惹き起こしました。その結果、私たちは今後何十年という長期間に渡り、目には見えない放射能汚染と向き合いながら現実を見極めていくことを余儀なくされました。
過去、何度となく苦難を乗り越えて今日の日本を築き上げてきた我が国の底力を考えれば、必ずまた、あらゆる意味の復興を成し遂げることができると確信しています。

今年も大変厳しいスタートになるとは存じますが、力強く空を駆け昇る今年の干支「竜」のごとく、皆様のご健康とご発展を心よりお祈り申し上げます。


平成24年1月1日         
株式会社 町田予防衛生研究所
代表取締役  二階堂 哲也 


3.11 と 9.11を想う

 
 昨日は、十五夜、皆さんも仲秋の名月を楽しまれた方も多くいられたと思います。我が家でも満月にすすきをかざして、月見団子をたむけました。この様な平和なひと時を過ごせる事を感謝して行かなければと改めて強く胸に刻みました。

 さて、一昨日の9月11日は、アメリカのワールドトレードセンターのテロから10年、3月11日の東日本大震災より半年が経ちました。遺族の方々の悲しみは、時間の経過で癒されるとは思いませんが、しかし時間は容赦なく過ぎて参ります。

10年前のテロの惨劇は、今でも脳裏に深く刻み込まれております。丁度日本時間の夜9時前後で
あったと記憶しております。緊急Newsから流される映像は、目を背けたくなる様な衝撃的な映像が移す出されておりました。アメリカの象徴でもあるNYのワールドトレーディングセンターが崩落して行く姿に、驚愕すると共に何故と?

 テロから遡る事10年前に短い期間ですが、過ごしておりました。20代前半であった私は、その刺激的な街や文化にすっかり虜になりました。緑が多くセンスがありモダンな建物が立ち並び、路を歩いているだけで映画のワンシーンのような気持ちにさせてくれる街は世界広しと言え、そう多くは無いと思います。そこで多くの仲間と出会い、多くの文化に触れました。今でも多くの仲間と親しく付き合う中で、まさか月日を経てこの様な惨事になるとは予想だにしませんでした。皆さんもご存知の通り
NYは、アメリカでありながら世界都市と言われる由縁は、他のアメリカの地域以上に包容力があり人々を受け入れて来たことにあります。
 その中で、多くの人種の友人にも恵まれました。地域的にユダヤ人も多く、アラブ人もおりパレスチナ問題はありましたが、今日ほど険悪な状況では無かったように記憶しております。時は、アメリカとゴルバチョフのソ連連邦の冷戦が雪どけを迎えて、歴史的なベルリンの壁が市民達の手により撤去されておりました。憎しみから融和が生まれた象徴として世界の明るい兆しとして感じたのを憶えております。

 それから10年の世界の変化は皆さんもニュース等で聞く通り、アメリカの正義を謳ったテロ戦争は出口が見えず、泥沼状態となり、人種間の融和からは、遠く乖離し憎しみが増えているように思えてなりません。目まぐるしく変わり世界情勢の中で、我が国日本も対岸の火ではなく、これから我々自身も巻き込まれて世界は、大きく変化をして行きます。将来、自分達の子供たちが、安心して暮らせる社会とは何かを自分自身でも問いかける毎日です。

 東北大震災より早半年が経ちました。8月の末に仙台へ行く機会があり復興がどの程度進んでいるのかを見て参りました。一見すると日常に戻りつつ仙台市内でしたが、海に向かうにつれて様相が変わって行きました。目的地の荒浜海岸は、津波による多くの被害を出した地域です。瓦礫の多くは撤去されておりましたが、海岸から見る海は、遥か遠くまで見渡せ、津波が多くを運んで行った傷跡が、未だに残されておりました。タクシーの運転手さんの話を聞くと家が流されて事で、離れた地域でも波音が大きく聞こえるそうです。関連のある仙台の若林区に所在のある社長の話を聞く機会がありました。その社長さんの会社と自宅は津波の犠牲となり、会社社屋の2階はかろうじて津波被害
から逃れる事が出来たそうです。しかし目の前で多くの尊い人命が失われて行く消失感で人生観が大きく変わったそうです。目の前に幼い子供が自分の妹を背負いながら亡骸となり固く離れなかった話を聞くとやるせない気持ちになりました。震災は、抑える事は、出来ませんが、その経験を生かして備える事は出来ます。

 これらの2つの事項も含めて全ては、線として我々自身にも繋がっている事を忘れずに傍観者ではなく、当事者としての意識を持って生きてゆかなければと思います。
だいぶ私的な意向を文書にまとめましたが、あくまでも私見ですので、ご容赦下さい。

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被災地へ行って来ました!

 
 大震災以降、自分で被災地に向けて何か出来る事はないかと日々TVで映し出される被災地の厳しい状況を見るに付け胸が締め付けられる思いが強く募っておりました。そんな折に同じ気持ちを持つ会社の仲間を見つけ、まずは行動に移す事にしました。
 メンバーは、まだ頻発する地震の危険も伴う事を想定して同じ思いを共有する仲間で編成し、まずは現地へ行ってこの目で確かめて来よう、そして何か出来る事をしてこようと出発2週間前に結成しました。メンバーそれぞれが役割を決めて動き出した中で、長期に滞在が出来ない事を踏まえて必要な物資を求められる避難所に届ける事に決めました。目的地については、多くの議論を重ねて岩手県の陸前高田市と当社広報の戸田君の友人が相馬市役所の総務課で勤務する福島県相馬市に決定しました。 物資を購入する前に何を誰の手に届けるかについて長い議論を行い、弱者である老人や子供達へ必要な物資を届ける事と決定しました。また被災地に於いては感染症の被害が見られる様なので当社業務に繋がる衛生管理についての手伝いを行う為に手洗い方法のポスターや洗剤、アルコール消毒、うがい薬等を用意しました。また近所のよく使う飲食店の店長が今回の震災後にいち早く被災地へ出向き、津波で車が流されて困っている中で、車を持参して喜ばれた話を聞いていたので、迷わず車を手配する事を決めました。
 車以外の物資については、スムーズに購入出来ました。車については、簡単に考えていましたが、調べて見ると被災地では、津波に多くの車が流され被災地向けに車ディーラーが全国で車を集めて通常の2倍から3倍の値段で売り買いがなされている有り様でした。その様な困った状況の中で、当社の営業佐藤君の友人で会社の修理等で協力を頂いている北部ガレージ鈴木氏に相談すると2つ返事で快諾してくれました。驚く事に2日程で軽自動車と普通自動車を確保してくれた上に無料で提供を頂きました。今回の震災に付いては、本当に多くの方々の協力と賛同を頂きました。改めて感謝申し上げます!

 
 全ての資材を調達していよいよ4月29日朝6時に集合し出発する。岩手までの道のりは遠く又、
連休初日と言う事もありあちこちで渋滞に巻き込まれた。そんな中でもメンバーの山本(sp)、小林(食品検査)、市村(食品検査)、戸田(広報)、池邊さん(コンサルタント)は、笑顔を絶やす事なくミッションを遂行出来た事は何よりであった。当日は一関に夜半に到着する。
 翌朝7時に集合していざ始めに訪問する陸前高田に向けて出発すると同じ方向には警察車両や
自衛隊車両が多く走行しており一同に緊張感が走りました。 山々を通過する中でここが被災地なのかと思う程に途中の状況はのどかであった。遅い東北の春を迎えてソメイヨシノが咲き乱れていた。

 山を下り暫く走ると目の前には、信じがたい光景が目の前に広がっていました。見渡す限りの瓦礫の山が遥か先に続く海まで続いていました。一同声を失った。TVで何回も見た風景をいざ目の前にするとあまりに大きい津波の被害を実感しました。まずは仮設の市庁舎へ向けい、現場に到着して総務担当の方と面会しましたが、あまりの被害の規模が大きい為に詳細の避難所の状況は、把握されていない様子であった。挨拶を済ませてから、事前に目処を立てていた老人ホームの松原苑へと向かうい現地に到着して用件を伝えて事務長の村上様と木川田様に物資をお渡する。当初の話だと50名収容と聞いていたが、行ってみると300名まで増えていた。現地のスタッフの方々は相当お疲れのことであると思う。何も手伝い事が出来ずに後ろ髪を引かれる思いで、次の施設へと向かう。市街に出て見ると愕然とした。5階建の建物の4階までが津波の飲まれており、あちこちで警察や自衛隊の方々が救助活動をされていた。まだまだ復興とは程遠い状況であり、戦場にいるような錯覚になった。次は少し足を延ばして大船渡近辺の小さな漁港に行くが同様に何処も津波による大きな被害を受けていた。三陸鉄道の線路が歪な形で曲がり折れていた。この惨状が500キロに続く太平洋岸全体に被害があると考えると、とてつもない規模で津波が起きた事が分かる。次に寄らして頂いたのは、避難所に指定されていた、体育館へ訪問させて頂いた。対応して頂いたのは、体育館の管理をされている方で、通常は、体育館運用をされている様子であった。今回対応された方々は、皆誰もが被災者でありながら支援を行っておられた。本当に頭が下がる思いであります! 陸前高田の訪問を終えて中継地の仙台へ向かいました。

 翌日はあいにくの小雨混じりの天気の中に福島の相馬に向けて出発しました。ここでもそうですが、高速を降りて相馬に向かう途中は、本当に素晴らしい風景が続いた。いつか子供を連れて訪れたいと思う程に牧歌的な風景でありました。暫く車を走らせて目的の相馬市役所に到着すると戸田君の友人の総務課に勤務する落合さんの手助けを頂き無事車をお渡しする事が出来た。その場で総務部長の菊池様のお話をお伺いする機会を頂き、相馬市としても市役所で3名が亡くなられて、市内では300名と多くの不明者がおいでになるとの事であった。市役所を後にして被災現場を視察に行くと此処も大きな津波被害を受けて海から離れた田畑に大きな漁船が乗りあげられていた。松林は根こそぎ津波に引き抜かれた惨状が続いておりました。

 帰り道に6号線をいわき市方面に上り南相馬に入ると辺りは、人通りもなく多くの店も閉じられた様子でり、やはり多くの自衛隊車両と警察車両が見られた。暫く行くとバリゲートが張りめぐされて、そこから先へは通行禁止となり、その手前のコンビニエンスストアーの駐車場では、原発の白い防護服を着替えていた警察官の姿を目にした。東北道への帰り途に原発の避難勧告を受けた飯舘村を通過したが、本当にのどかな農村で海から離れた村民の方々は、何故避難しなければ行けないのかと言う思いが強いのではないか?と感じました。人が生きる上でエネルギーは無くてはならないが、人間がコントロール出来ないエネルギーが本当に必要なのか?これから時間をかけて自分なりに考えて行きたいと思います。

今回の旅行に於いて、現場を見た事で、胸に大きな思いが広がった。百聞は一見にしかず、行く事で多くの物を自身の目で確かめられた事が、この大災害を通じてこれからの日本を考えて行く上で大きな意味を持ったと思いました。もう以前には戻れないのだと、これからの変化や困難を乗り越えてより良い国を作ることが、大げさかもしれないが我々の手にかかっているであると!

印象として残った写真が津波で全てを流された後に残る桜が満開で、これだけの災害があっても力強く残る桜は、明日は必ず来る、また季節は巡ると言っているようでした!

Special thanks : 北部ガレージ 鈴木様
              相馬市役所 総務課 落合様























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東日本巨大地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます

 
 3月11日に発生した東日本巨大地震により、犠牲となられた皆様に、深く哀悼の意を表すと共に、被災された方、そのご家族、関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 空白の空いたブログを記載する事が、この様な大災害がきっかけとなるとは!自分自身でも考えもつきませんでした。また誰がこの大災害を予想できたでありましょう。TVから映し出される凄まじい津波は、人々と建物とありとあらゆる物、全てを飲み込み、残されたのは、家族を失った深い悲しみと喪失感、家々の残骸を残して去って行きました。毎日TVより映し出される何百、何千の家族の方々が安否確認に走る人々、気丈にも被災地の方々は、自分よりも不幸な人がいるからと口々に言い振舞っておられる姿を見るとただただ自分自身が非力である事を認識すると共にただ頬から伝う涙以外に自分で何が出来るかを問う毎日です。

 阪神大震災もそうでしたが、時間の経過と共に起こる出来事に過去に忘れ去られてしまう現実があります。私自身は、今回の大災害を日本人の将来への大きな岐路と考えて、今までの物質主義からの大きな転換期であり、失った大切な人の絆を取り戻す大きな扉が開いたと前向きに考えて行きたいです。この大災害を将来何十年後かに振り返る時に被災者の方々を含めて我々国民が、その時、笑える事が来る事を切に願います。今だからこそ出来る事を自分で見極めて進めて行く事の重要性は皆感じていることですし、皆が行動して行きたい気持ちに駆られていると思います。しかしこの大災害の本当の意味での復興の道のりは長く遠い事を理解して、皆で本当にこれから日本人としての姿を考える時なのかと!

 原発を含めてまだまだ予断を許さない時ですが、戦後の復興を乗り越えて来た先人に習い、我々は、この困難を必ず克服できると信じて、正しい道を向いての1歩を踏み出して行動して行きましょう!
 
                      「頑張れ日本!」

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TPP(環太平洋協定)を思う

 
 おはようございます。11月に入り晴天の日が続き、気温も温暖な事もあり皆様も秋を楽しんでおられることと存じます。しかし社会は尋常では無い出来事が毎日繰り広げられております。尖閣諸島の漏洩問題等々、日々我が国の置かれた窮状を目にすると将来的な不安を感じずにはおられません。
 これからの将来を明るくする強い意志と目的を持った政府を待ち焦がれる事と、その責任も我々に委ねられている意識を皆が持つ必要があるのだと!

 さて、時を同じくしてアジアで重要な会議が立て続けに行われます。まずは、横浜で開催されるAPECと隣国の韓国で開催されるG20があります。立て続けにアジアで行われる大きな理由としては、世界の市場がアジア諸国の著しい発展と人口規模とGDP向上による旺盛な消費にて新たな世界地図の中心へと躍り出ようとしているからです。その中で正に我が国の将来を左右する大きな協定について話し合いが行われております。
最近よく耳目にするTPP(環太平洋協定)アメリカを中心とした太平洋を囲む国々を中心に貿易や投資、人の移動が幅広い分野で自由化を目指す動きで、関税等にも大きく関わります。その中で、
我が国は物作り大国として現在の地位を築いて来ました、多くの車や電化商品の精度の高さが評価された証でもありました。しかしながら現在は、製品の高さ以上に国の障壁を取り払い自由貿易が主となり隣国韓国は、率先して2国間協定を多くの国と取り交わして貿易を大きく伸ばして来ました。特にサムソンは、今では日本の大手メーカーを合わせたより大きな利益を上げるまでに成長しております。その成果の陰には官民一体となった協定への前向きな動きであったと聞いております。勿論その陰には、大きな代償として農業製品の関税撤廃による影響もありました。

 隣国韓国の動きを見た中で、日本の将来の大きな舵を取る時期に差し掛かっております。我が国の多くの政治家が人口260万人の農業を守れと叫びながら屋台骨である1100万人が働く製造業の雇用が流出していくことに何の危機感も抱いていないように見えます。また農水省は、コメなど主要品目19品目全て国の関税を撤廃すれば、毎年4.1兆円の生産額が減り自給率は、40パーセントから14パーセントに下がると試算した。極端な数字をはじいて農業を守ろうとしています。しかし
本当にこれで良いのでしょうか?また日本の農業はそんなにも脆弱なのものなのでしょうか?私自身は、個人で買い物をする場合には、安全性と味を優先させて地産商品や国産商品を選ぶようにしております。以前にブログに記載した事がありましたが、スイスの農業事情の事を思い出しました。幾ら国が守ろうとしても選択するのは消費者で、その製品を供給する側と消費者のニーズが一致しなければ幾ら安くしても物は売れません。以前コメ不足の時に大量のタイ米が輸入されましたが、政府が考える以上に不足にも関わらずタイ米の消費が上げられなかったと記憶しております。

 日本の農業の持っているポテンシャルは高い物があり、特に中国でも相次ぐ食品事故から多くの日本の農産物が高い評価で売り買いされている事例を見ても品質の高さや美味さ等に付加価値があると思われます。勿論全ての農家が該当する分けでは無いと思いますが、努力と品質を求める農家に取っては大きな飛躍にもなるのではないかと。どんな世界にも競争があり、物作り大国となった車や電化商品も多くの戦いに切磋琢磨して勝ち残ったからこそ現在があるのだと確信しています。悲観的に捉えるのではなく前向きに進んで行きたいものです。


                (日経新聞2010年11月9日、10日1面TPP日本の選択より一部抜粋)
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秋の散策

 
 こんにちは? 先週末に秋葉原へ散策へ行って参りました。最近では、様々な意味で注目されている秋葉原、特にオタク文化の発祥地であり今やアイドルまでもを輩出するまでになり、原宿、渋谷と双璧をなす新たな流行を生み出す地域へ足を踏み入れて見ました。

 さて、私の秋葉原の印象は、やはり電気街であり、最近耳目にするようなイメージは実のところ良く理解されておりませんでした。特に過去ではCMで良く目にした〇丸電気の宣伝が記憶がある位で、最近では、電化量販店の進出で秋葉原まで家電を買いに行く必要もなくなり、乗換程度で寄ることは、あっても下車して街を歩くような機会がありませんでした。今回、家族で新たな文化を目にしようと意を決して訪問しました。 大きな変化は、電気街を中心に発展していた街並みが、某大手電化量販店の進出で新たな街並みが出来ておりました。新たな地域へ車を駐車すると以前の混み合った街並みから少しモダンな風を感じます。しかし流石に世界の秋葉原、外国人は元より多数のマニアチックな人々の往来で圧倒されてしまします。子供の手を引きながら、旧市街の電気街へ出るとより、マニアチックな密度が濃くなります。

 娘は、道々に立つメイド風のお嬢さんの格好を見て、自分も同じ格好をするんだ!と泣く始末。大変な所へ連れて来てしまったと後悔! しかしある意味でこれだけの人々を寄せ付ける魅力もまた感じました。とにかくあらゆる物が、ごった煮のように集まり変化してカオスの様相を呈しながらも熱気と新たな物を生み出している感じを強烈に感じました。いわゆるオタク文化が公認されてから久しくなりますが、もうオタクではなく1つの文化なのでしょう。特に外国人には奇異に見られるものも既成概念に捕らわれずに、規制の強い日本から生まれたのも面白い出来事であると共に、反面その規制を否定するアンチテーゼであるのだと。

 さて、皆さんも機会があれば違う日常を求めて散策する事をお勧めします!

 ちなみの帰りに銀座に着くと僅かな距離なのに大きな違いに驚くとともに何か安心した気分となりました。

 

 

 


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今日から11月が始まります。

 
 早いもので、今日から11月が始まります。残すところ今年も2ケ月となりました。皆様に於かれましては、来月に師走を迎えるに当たり思いも様々であると思います。暦で言うと霜月で、昔は霜降月と言われていたそうです。週末は、台風が通過したりと慌ただしい天候でしたが、確実に冬に向かっている事を感じます。

 さて、11月1日が何の日かを調べて見ますと「灯台記念日/1949年海上保安庁」「犬の日/1987年ペット工業会」「計量記念日/通産省」他11団体による記念日があります。それぞれの思惑で記念日にしたのでしょうが、あまり耳にすることもありませんので、雑学として皆さんにお伝えします。
 あと、ラジオ体操放送が開始されたのが、1928年11月1日で、古くからの歴史があった事に驚いております。また面白いところでは、ハローキティの誕生日が1974年11月1日生まれで36歳になります。キティちゃんもそう考えるといい歳ですね!

 最後に花言葉では、唯一の恋だそうです。唯一の恋?どのように受け取ればよいのでしょうか?

皆さん、日々寒くなりますが、お風邪など引かぬように!

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自然との共存2

 
 前略、今日は、冬に入ったような寒さですね。朝から冷雨が降り温度も上がらない様子今週末までは、この様な天気が続くそうです。早く青空を拝みたいものです。
 
 さて、昨日tvでニュースステーションを見ていると大変興味深いテーマを放映されていました。前回ツキノワ熊の被害について投稿させて頂きましたが、昨日偶然にも熊との共存について兵庫県在住にてりんご園を営んでおられる幸福さんと熊の共存を放映されており、他の熊の被害同様に山の餌不足で多くの熊が里に降りて来て、山に隣接している幸福さんのリンゴ園を壊滅的な被害を受けたそうです。強い怒りで一時は、熊との戦争だと決心もしたそうです。しかしよく考えて見ると何故多くの熊達(推定6匹)の熊達がここまで降りて来るのか、怒りを抑えて考えて見るとそこに答えが隠されていたそうです。以前は営林所に勤められていた幸福さんは、高度成長期の真っただ中に杉などの植林を積極的に行い、逆に広葉樹の林を多く伐採したそうです。それらの人間の都合で山を変えた付けが、今に帰って来たのだと。杉林は杉以外の生物を寄せ付けず、ミミズすらも生息できないと話されていました。また杉の値段が下落した事により手入れが疎かとなったことが、熊を始めとする動物たちの境界線が明確で無くなった事が大きな原因であると仰っていました。そこで、幸福さんは、杉林を整備して一部伐採した所には、広葉樹を植林しました。気が長くなる作業ですが、多くの成果を残しております。まず杉林を整備した事により明確な境界線が出来て熊が降りる事が大幅に減少した事と植林した広葉樹が実を付けて熊や動物たちの餌が豊富になり里まで降りることが無くなったそうです。
 幸福さんの行動力には、敬意を表しますが、本来は、我々自身もこの様な取り組みに少しでも関与して行かなければならないと強く感じております。そんな折に番組でもエコの導入が積極的になされる中で、二酸化炭素放出削減を目指した一環で広葉樹の植林に対して企業や個人でも酸素権を買い取る制度があるそうです。ぜひこの様な動きには積極的に関与して行きたいですね!

 参考までに熊の保護に関するNPOのアドレスを添付します

http://npo.picchio.jp/index.html

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秋の散策

 

 10月に入るとだいぶ秋めいて来ました。TVでは、各地の紅葉情報が放送されて折、山々が色付き始めた光景を写される機会も多くなって参りました。また、今年は、異常気候の影響か何時になく熊による被害と出没件数が過去最多であるようです。熊も好き好んで人里まで降りる事も無いでしょうから餌がそれだけ不足しているようです。特に本州に生息しているツキノワ熊については、主食となるどんぐり等の木の実が、今年はまったく実を付けない状況だそうです。北海道に生息しているヒグマは、あまり深刻な状況では無い事が記載されておりました。
 
 そのような中、名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国際会議)が開催されております。現在地球上に科学的に明らかにされている生物種が約175万種、未知のものも含めると3000万種とも言われる生物が地球上で暮らしております。しかし環境破壊や温暖化による被害、海外から持ち込まれる外来種による影響等でICUN(国際自然保護連合)がまとめた2009年度版の「レッドリスト」には、絶滅の恐れの高い種として8782種の動物や8509種の植物がリストアップされています。日本においてもレッドリストに3155種が絶滅の恐れのある種として記載されています。先程のツキノワ熊についても九州では、既に絶滅したようです。これから人と他の生物の関わりを真剣に考えて行かなければならない時期にきており、我々の都合で生かす殺すと言う事ではなく、如何に共存する為に我々が許容して変化して行くことであるのかと強く思います。

 昨今は、子供への虐待や老人の介護等の問題が大きく取り上げられる中で、一見分野の違う話題であるかと思われますが、全ては人のやさしさの欠如からくるものであり自身も多々の反省を感じている次第です。今日からでも出来る事を見つけて実行して行きたいと思います。

 追伸:日光へ小学校以来行って参りました。今年の紅葉はあまり色付きが良くないようです。
     東照宮は、子供たちで溢れかえっておりました。


  
  
  
  
  
  

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追記:9月の思い出

 
 もう1ヶ月も前になりますが、今年の9月は、本当に暑かったですね! 地球の温暖化を体感するよう月でした。最近は、具体的に何時何を誰と等々忘れる事が多いので簡単なダイアリーを付けるようにしているのですが、9月を読み返すとやはり暑さと円高の事が多く記載されておりました。
 
 さて、思い起こして9月は、娘を伴い近所の子供の国へ散策へ行きました。動物好きな娘が、牧場へ行きたいとせがむので、行くと牛やヤギなどの偶蹄類が、宮崎で起きた口蹄疫の影響で見ることが出来ませんでした。終息宣言が確か発令した後でしたが、傷跡の深さを感じずにはおられません出来ごとでした。
 
 また9月には、個人的に嬉しい出来事があった。幼馴染と10年振りの再会を果たした。年賀状のやり取りはしていたのですが、お互いに家庭を持ち仕事をしていると月日の経過が早く、ようやく再会を果たす事が出来ました。お互いに始めはメールでのやり取りで、何か照れもあり、よそよそしい文章でのやり取りをしておりましたが、いざ会うと会う事の無かった月日は氷解して、直ぐに昔の関係に戻れました。昔の友は大切ですね!

 キノコ狩りに長野県の蓼科へ家族で行って参りました。きのこはこの暑さで、まだ収穫の時期は早いとの事、予定を変更して旧中山道の宿場町でもあった奈良井宿へ行って来ました。数百年前に侍が参勤交代で通貨していく姿を想像してロマンを感じます。久しぶりの名産の五平餅を食べると何か懐かしい味と思いが湧いてきました。

 町田天満宮の収穫祭、通年は雨が多いのですが、今年は晴天に恵まれたお祭りとなりました。子供の頃と変わらずに縁日に境内の屋台を見ると心が躍るような楽しさがあります。時代が変われど金魚救いに綿あめは、今でも子供の人気があるようです!但し年々、町内の神輿を担ぐ人が少なくなり担ぎ手がいない事が、大きな問題となり、こんな所にも高齢化の影響があるのだと!

 最後に愛犬が胸に腫瘍が出来て手術をした後に被りものをして帰宅しました。本院の神妙な顔付とは、裏腹に何か笑ってしましました。(現在は至って元気です)



 
 
 
 
 
 



何か日記のような文章となってしましましたが、9月の思い出とさせて頂きます!


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