新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別なご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

さて、例年、年末の風物詩のひとつとなっている「今年の漢字」は、消費税増税に因んで「税」となりました。東日本大震災の年(2011年)は「絆」、2012年はオリンピックに因んで「輪」でした。その年一年の世相が漢字一字に上手く表現されています。昨年末には衆院選が実施され、自民・公明の連立与党が解散前の議席を維持し、結果的にアベノミクスは信任されたかたちと報道されました。

政策により急激に進んだ円安の影響は業種により様々ですが、日本への外国人観光客にとっては大きなメリットとなり、訪日外客数は1300万人を超える見込みとなりました。和食など日本の文化が文化遺産として次々とユネスコに登録されたことも功を奏し、これからも、様々な国からの来訪者が増えて日本の文化を知っていただく機会も多くなることでしょう。
美味しく衛生管理に定評のある「日本の食」を、世界の人に向けて楽しんでもらうためにも、安全・安心への取り組みは、今後ますます重要なものになります。

昨年、当社の食品検査部門では、試験所の能力に関する国際規格であるISO/IEC 17025:2005認定を取得し、衛生コンサルティング部門では食品マネジメントシステムの国際規格であるISO22000 審査員補資格を有する職員によりコンサルティング業務を推進して参りました。
今年も皆様のためにお役に立てますよう精進して参りますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

本年も皆様にとって良い年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
平成27年1月1日
株式会社 町田予防衛生研究所
代表取締役 二階堂 哲也


新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別なご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

さて、長年停滞気味に推移してきた経済でしたが、昨年は円高対策などの政策が功を奏し、景気回復への明るい兆しが見えてきたように思えます。また、2020年のオリンピック開催地が東京に決まり明るい話題で新年を迎えることができました。
今年は、それら明るいムードを追い風にして東北の早期復興はもちろんのこと、希望に満ちた年となる事を期待しております。

食品業界に於いては、ここ数年の傾向同様に、ノロウイルスによる食中毒事故が目立つ存在となっております。一方で、新たな問題として食品表示の在り方がマスコミにより連日話題となりました。それをきっかけに、表示に関するご相談も増加しております。
食品表示の重要性やノロウイルス検査のニーズが高まる現状において、当社は、いかにしてお客様のお役にたてることができるのかを考え、ご提案したいと思っております。

そんな折、和食がユネスコの無形文化遺産として認められました。円安を追い風に海外旅行者も増加している現在、日本の素晴らしい食文化を世界に広め、楽しんで頂き、日本の良い文化を広めていく良いチャンスでもあると感じます。長きに渡り、受け継がれてきた日本人のこころ 「お も て な し」のこころで、当社はこれからも皆様をサポートしていきたいと思います。

今年も皆様にとって良い年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
 
平成26年1月1日
株式会社 町田予防衛生研究所
代表取締役 二階堂 哲也


あれから、そして此れから!

 
  ブエノス・アイレスからオリンピックの決定後より世の中は、東京オリンピックに向けて一色に染まり始まる。49年振りの日本開催であり、嬉しくも同じ開催場所の東京である事も日本人の気持ちを高揚させている。
 私自身も素直にオリンピックの開催を楽しみにしているし、これからの日本の将来と重ね合わせると絶妙なタイミングでの開催であると思う。若い世代と多くを経験された世代が、共有して1つの新たなステージを作り挙げて行く最高の機会でもあると信じている。

   しかし今日は、9.11.2001を思い起こして貰いたい。その辛い思い出を明日に活かす為にも!
あの辛い思い出は、時間と共に風化されては、成らない! 勝者も敗者もいない戦いは、12年を迎える今も続いている。暗闇に一筋の明かりも見出せないままに!
 奇しくもイスラム教の国のマレーシアに仕事で滞在している。美しく夕焼けに染まるモスクを見ながら!


新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます
旧年中は格別なご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

さて、昨年は震災後の復興が思うように 進まない中、政治は迷走し、隣国との外交問題や原発を始めとするエネルギー問題、円高の影響による企業の競争力の低下、それに伴う経済の低迷等、重要な問 題が十分に解決されない失望の1年のまま終わるところでした。最後の最後に衆議院が解散し、12月16日に総選挙が実施され、その結果は皆様ご承知のとお りです。

今年は、それら失望を希望に変える1年にして行かなければなりません。
それは政治だけに頼るのではなく、国民一人ひとりの意識改革も求められるのではないかと思います。近年の日本を振り返ると長引く経済の低迷や震災等の影響を大きく受けて、国民の気持ちも行動も内向きになっています。
本が、どんなに混乱の中にあっても、世界は大きな潮流の中で止まることなく進んでいます。自国の思惑だけに固執せず、他国の考え方や対応の相違にも柔軟性を持って対応する事で、問題解決の糸口が必ず生まれると信じます。

私の好きな本の1つに、星新一の著作である「明治・父・アメリカ」があります。この作品は、明治時代の激動の中、若くしてアメリカに渡り、日本人として逞しく困難を乗り越えていく著者の実父である星一の姿を描いた実話です。
こ の本は、亡き父が不安を持って海外で過ごしていた私を案じて渡してくれたものでした。時代は変わりましたが、今まさしく我々は、明治と同様に物事や価値観 が大きく変わる潮流の只中に置かれていると思います。私自身、今でも目的が見つからず迷った時、将来に漠然の不安を感じた時にこの本を読み返すと「迷わず 進め」と父が背中を押してくれているように感じております。

今年も変化の多い1年になると思いますが、町田予防衛生研究所は、引き続き皆様のよきパートナーとなり、成長できますよう、一層の努力をいたします。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

平成25年1月1日
株式会社 町田予防衛生研究所
代表取締役 二階堂 哲也


4月を迎えて

 








 今年は、冬が長かったせいもあり、桜が入学式に合わせるように満開となりました。満面な笑顔で、両親と連れ添いながら歩く子供達の姿を見ると心が和みます。東日本震災から1年が経ち、一見落ちついたかのように見える日常生活も、果たしてそうなのだろうかと、ふと考えます。まだ原発の問題も終息どころか未だに汚染水が流れ、電圧状況の不安定さから、何ら解決が見えない中での原発の再始動を行おうとしている中で被災地の方々の思いも複雑であろうと思われます。ニュースから流れる被災地の情報でも新年度を迎えた子供達が満面の笑顔を浮かべて登校する姿が映し出されていました。あれだけの未曾有の被害を受けた人々の傷は癒されず、また地域の繋がりや子供達の将来を奪った原発を稼働させる事の意味を本当に国は理解しているのであろうか疑問を抱かずにはいられません。
 
 満開の桜を見ながら、その美しさと一時に散る儚さを日本人は、人生に喩える花として好んで来ました。桜の元に集まり、宴を設けて。今、我々が考えて行かなければならない時期に来ているのだと痛感するこの頃です。
 正に国民が皆でこの国を創造して行く時期に来ていると思います。政治に任せるのではなく、誰かに頼るのでもなく自身で出来る事から。飛ぶ鳥を落とす勢いのあった日本の企業も今は昔で、国際競争の中で負け越して大きな赤字へ転落している状況です。人々も未来への展望を失ってるように見えます。しかし思い起こせば先人達も、もっと過酷な状況下で国を再建してきたではないでしょうか。 良き事を学び(継承)、間違った事を正して行けば良いのだと思います。結果、快適な生活や物品等だけを求めるのではなく、心を豊かにして、絆や信義を得る事で、今まで得た以上の心の空洞を補う事が出来る生活を送りたいものです。エネルギーに関しても将来の子供達の為にも必要以上なものを求めずに自然環境を損なうことなく安心出来るエネルギーの供給を考えて行けば日本の価値もより世界で認知されるだろうと考えます。
 今回の震災は失われた我々の心を呼び起こし、大きな犠牲の元に変える心を与えてくれたように感じずにはいられません。時代の変化に恐れずに明治維新に学び、変化に対応して行きたいものです。大きな犠牲を忘れない為にも!


被災地の傷まだ癒えず

 
 東日本大震災より間もなく1年が経過しようとしております。2月末の雪が残る仙台にて仕事を済ませた後に、被災地の現状を見に向かいました。 仙台より仙石線に乗り松島海岸まで向ました。仙台駅で行き先を見ると所々の区間が塗りつぶされて、バスによるピストン輸送と書かれてあり、未だに復興がなされていない現況を垣間見る事が出来ました。

仙石線の現況
*仙石線の運航状況(仙台から石巻までの多くの区間にて上記の通りバスでの搬送が行われている

 駅を降りて歩いてフェリー乗り場まで向かう中で、震災の傷跡を見出す事は、此処からは出来ませんでした。優しい春の日差しを背に受けて遊覧船へ乗り込み島々を周遊する中では、この穏やかな海で震災・津波が起きた事を感じる事など出来ませんでした。昼食を取りにフェリー傍の飲食店に入り、店主の方との雑談の中で、松島は、多くの島々に取り囲まれている立地にあり、幸いにも腰下位の津波で免れたとの事、是非隣町の被害の大きかった東名や野蒜を見て欲しいと言われてtaxiへ乗り込みました。山を越えるとかって陸前高田にも見た風景が広がりました。









運転手さんの案内で、各所を周る中で、野蒜地域の被害は大きくTVでも列車がくの字型に津波で流された映像をご覧になった方も多いかと思います。この地域では、元々漁村と海水浴場があり夏場には、多くの海水浴客で賑わっていたそうです。しかし元の街の姿を知らない我々には、到底そこに街があった事さえ認識出来ない程に根こそぎ津波が破壊し多くの生命を波と共に流してしましました。
また不幸な事にこの地域は、海岸線と漁港よりの双方向より津波が襲い多くの命が奪われてしまいました。また避難場所に指定された体育館や学校も津波が襲い、多くのお年寄りが亡くなられたそうです。
この現状を見て、元の街へ戻る事の困難な事は容易に理解出来ます。しかし此処で生まれ育った方々の心情を察するとやるせない気分になります。
震災より1年が経過して改めて我々が考えなければならない事と起こった事実に目を背けずに行かなければと強く感じました。時間の経過と共に記憶は薄れるものですが、この災害を通じての生き方を決して忘れては行けないと! また薄れ行く絆も!

セントラル医学中西部長、お疲れ様でした!
同行したセントラル医学中西部長、当社営業の古川課長 お疲れ様でした!


あけましておめでとうごいます!

 
 

新年あけましておめでとうございます
さて、昨年は、東日本大震災という我々日本人の心の中で未来永劫に忘れることができないほどの出来事がありました。地震に伴い発生した津波により、多くの尊い命が犠牲となりました。その様子を報道で見るたびに深い哀しみと、何もすることができない自身の無力さに腹立たしささえ覚えました。誰もが、あらためて「生きる」という意味を強く感じ、人との「絆」の大切さを深く考えた年となったのではないでしょうか。

我が国は、いにしえより、地震により多くの被害を繰り返し受けていたことが古事記の記録にも残されております。先人達はその天災の怖さを畏怖慄くだけでなく、時に厳しい自然と向き合い、対峙してきました。そして今日、それらを教訓にした新しい建築構造や防災対策などで磐石な体勢が構築されている筈と信じておりました。しかし、自然の力は、人の想像をはるかに超えることを今回の震災で痛感させられました。

今回の震災は原発事故を誘発し、今までに経験したことのない放射能汚染まで惹き起こしました。その結果、私たちは今後何十年という長期間に渡り、目には見えない放射能汚染と向き合いながら現実を見極めていくことを余儀なくされました。
過去、何度となく苦難を乗り越えて今日の日本を築き上げてきた我が国の底力を考えれば、必ずまた、あらゆる意味の復興を成し遂げることができると確信しています。

今年も大変厳しいスタートになるとは存じますが、力強く空を駆け昇る今年の干支「竜」のごとく、皆様のご健康とご発展を心よりお祈り申し上げます。


平成24年1月1日         
株式会社 町田予防衛生研究所
代表取締役  二階堂 哲也 


3.11 と 9.11を想う

 
 昨日は、十五夜、皆さんも仲秋の名月を楽しまれた方も多くいられたと思います。我が家でも満月にすすきをかざして、月見団子をたむけました。この様な平和なひと時を過ごせる事を感謝して行かなければと改めて強く胸に刻みました。

 さて、一昨日の9月11日は、アメリカのワールドトレードセンターのテロから10年、3月11日の東日本大震災より半年が経ちました。遺族の方々の悲しみは、時間の経過で癒されるとは思いませんが、しかし時間は容赦なく過ぎて参ります。

10年前のテロの惨劇は、今でも脳裏に深く刻み込まれております。丁度日本時間の夜9時前後で
あったと記憶しております。緊急Newsから流される映像は、目を背けたくなる様な衝撃的な映像が移す出されておりました。アメリカの象徴でもあるNYのワールドトレーディングセンターが崩落して行く姿に、驚愕すると共に何故と?

 テロから遡る事10年前に短い期間ですが、過ごしておりました。20代前半であった私は、その刺激的な街や文化にすっかり虜になりました。緑が多くセンスがありモダンな建物が立ち並び、路を歩いているだけで映画のワンシーンのような気持ちにさせてくれる街は世界広しと言え、そう多くは無いと思います。そこで多くの仲間と出会い、多くの文化に触れました。今でも多くの仲間と親しく付き合う中で、まさか月日を経てこの様な惨事になるとは予想だにしませんでした。皆さんもご存知の通り
NYは、アメリカでありながら世界都市と言われる由縁は、他のアメリカの地域以上に包容力があり人々を受け入れて来たことにあります。
 その中で、多くの人種の友人にも恵まれました。地域的にユダヤ人も多く、アラブ人もおりパレスチナ問題はありましたが、今日ほど険悪な状況では無かったように記憶しております。時は、アメリカとゴルバチョフのソ連連邦の冷戦が雪どけを迎えて、歴史的なベルリンの壁が市民達の手により撤去されておりました。憎しみから融和が生まれた象徴として世界の明るい兆しとして感じたのを憶えております。

 それから10年の世界の変化は皆さんもニュース等で聞く通り、アメリカの正義を謳ったテロ戦争は出口が見えず、泥沼状態となり、人種間の融和からは、遠く乖離し憎しみが増えているように思えてなりません。目まぐるしく変わり世界情勢の中で、我が国日本も対岸の火ではなく、これから我々自身も巻き込まれて世界は、大きく変化をして行きます。将来、自分達の子供たちが、安心して暮らせる社会とは何かを自分自身でも問いかける毎日です。

 東北大震災より早半年が経ちました。8月の末に仙台へ行く機会があり復興がどの程度進んでいるのかを見て参りました。一見すると日常に戻りつつ仙台市内でしたが、海に向かうにつれて様相が変わって行きました。目的地の荒浜海岸は、津波による多くの被害を出した地域です。瓦礫の多くは撤去されておりましたが、海岸から見る海は、遥か遠くまで見渡せ、津波が多くを運んで行った傷跡が、未だに残されておりました。タクシーの運転手さんの話を聞くと家が流されて事で、離れた地域でも波音が大きく聞こえるそうです。関連のある仙台の若林区に所在のある社長の話を聞く機会がありました。その社長さんの会社と自宅は津波の犠牲となり、会社社屋の2階はかろうじて津波被害
から逃れる事が出来たそうです。しかし目の前で多くの尊い人命が失われて行く消失感で人生観が大きく変わったそうです。目の前に幼い子供が自分の妹を背負いながら亡骸となり固く離れなかった話を聞くとやるせない気持ちになりました。震災は、抑える事は、出来ませんが、その経験を生かして備える事は出来ます。

 これらの2つの事項も含めて全ては、線として我々自身にも繋がっている事を忘れずに傍観者ではなく、当事者としての意識を持って生きてゆかなければと思います。
だいぶ私的な意向を文書にまとめましたが、あくまでも私見ですので、ご容赦下さい。

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株式会社町田予防衛生研究所
TEL:042-725-2010
URL:http://www.mhcl.jp
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被災地へ行って来ました!

 
 大震災以降、自分で被災地に向けて何か出来る事はないかと日々TVで映し出される被災地の厳しい状況を見るに付け胸が締め付けられる思いが強く募っておりました。そんな折に同じ気持ちを持つ会社の仲間を見つけ、まずは行動に移す事にしました。
 メンバーは、まだ頻発する地震の危険も伴う事を想定して同じ思いを共有する仲間で編成し、まずは現地へ行ってこの目で確かめて来よう、そして何か出来る事をしてこようと出発2週間前に結成しました。メンバーそれぞれが役割を決めて動き出した中で、長期に滞在が出来ない事を踏まえて必要な物資を求められる避難所に届ける事に決めました。目的地については、多くの議論を重ねて岩手県の陸前高田市と当社広報の戸田君の友人が相馬市役所の総務課で勤務する福島県相馬市に決定しました。 物資を購入する前に何を誰の手に届けるかについて長い議論を行い、弱者である老人や子供達へ必要な物資を届ける事と決定しました。また被災地に於いては感染症の被害が見られる様なので当社業務に繋がる衛生管理についての手伝いを行う為に手洗い方法のポスターや洗剤、アルコール消毒、うがい薬等を用意しました。また近所のよく使う飲食店の店長が今回の震災後にいち早く被災地へ出向き、津波で車が流されて困っている中で、車を持参して喜ばれた話を聞いていたので、迷わず車を手配する事を決めました。
 車以外の物資については、スムーズに購入出来ました。車については、簡単に考えていましたが、調べて見ると被災地では、津波に多くの車が流され被災地向けに車ディーラーが全国で車を集めて通常の2倍から3倍の値段で売り買いがなされている有り様でした。その様な困った状況の中で、当社の営業佐藤君の友人で会社の修理等で協力を頂いている北部ガレージ鈴木氏に相談すると2つ返事で快諾してくれました。驚く事に2日程で軽自動車と普通自動車を確保してくれた上に無料で提供を頂きました。今回の震災に付いては、本当に多くの方々の協力と賛同を頂きました。改めて感謝申し上げます!

 
 全ての資材を調達していよいよ4月29日朝6時に集合し出発する。岩手までの道のりは遠く又、
連休初日と言う事もありあちこちで渋滞に巻き込まれた。そんな中でもメンバーの山本(sp)、小林(食品検査)、市村(食品検査)、戸田(広報)、池邊さん(コンサルタント)は、笑顔を絶やす事なくミッションを遂行出来た事は何よりであった。当日は一関に夜半に到着する。
 翌朝7時に集合していざ始めに訪問する陸前高田に向けて出発すると同じ方向には警察車両や
自衛隊車両が多く走行しており一同に緊張感が走りました。 山々を通過する中でここが被災地なのかと思う程に途中の状況はのどかであった。遅い東北の春を迎えてソメイヨシノが咲き乱れていた。

 山を下り暫く走ると目の前には、信じがたい光景が目の前に広がっていました。見渡す限りの瓦礫の山が遥か先に続く海まで続いていました。一同声を失った。TVで何回も見た風景をいざ目の前にするとあまりに大きい津波の被害を実感しました。まずは仮設の市庁舎へ向けい、現場に到着して総務担当の方と面会しましたが、あまりの被害の規模が大きい為に詳細の避難所の状況は、把握されていない様子であった。挨拶を済ませてから、事前に目処を立てていた老人ホームの松原苑へと向かうい現地に到着して用件を伝えて事務長の村上様と木川田様に物資をお渡する。当初の話だと50名収容と聞いていたが、行ってみると300名まで増えていた。現地のスタッフの方々は相当お疲れのことであると思う。何も手伝い事が出来ずに後ろ髪を引かれる思いで、次の施設へと向かう。市街に出て見ると愕然とした。5階建の建物の4階までが津波の飲まれており、あちこちで警察や自衛隊の方々が救助活動をされていた。まだまだ復興とは程遠い状況であり、戦場にいるような錯覚になった。次は少し足を延ばして大船渡近辺の小さな漁港に行くが同様に何処も津波による大きな被害を受けていた。三陸鉄道の線路が歪な形で曲がり折れていた。この惨状が500キロに続く太平洋岸全体に被害があると考えると、とてつもない規模で津波が起きた事が分かる。次に寄らして頂いたのは、避難所に指定されていた、体育館へ訪問させて頂いた。対応して頂いたのは、体育館の管理をされている方で、通常は、体育館運用をされている様子であった。今回対応された方々は、皆誰もが被災者でありながら支援を行っておられた。本当に頭が下がる思いであります! 陸前高田の訪問を終えて中継地の仙台へ向かいました。

 翌日はあいにくの小雨混じりの天気の中に福島の相馬に向けて出発しました。ここでもそうですが、高速を降りて相馬に向かう途中は、本当に素晴らしい風景が続いた。いつか子供を連れて訪れたいと思う程に牧歌的な風景でありました。暫く車を走らせて目的の相馬市役所に到着すると戸田君の友人の総務課に勤務する落合さんの手助けを頂き無事車をお渡しする事が出来た。その場で総務部長の菊池様のお話をお伺いする機会を頂き、相馬市としても市役所で3名が亡くなられて、市内では300名と多くの不明者がおいでになるとの事であった。市役所を後にして被災現場を視察に行くと此処も大きな津波被害を受けて海から離れた田畑に大きな漁船が乗りあげられていた。松林は根こそぎ津波に引き抜かれた惨状が続いておりました。

 帰り道に6号線をいわき市方面に上り南相馬に入ると辺りは、人通りもなく多くの店も閉じられた様子でり、やはり多くの自衛隊車両と警察車両が見られた。暫く行くとバリゲートが張りめぐされて、そこから先へは通行禁止となり、その手前のコンビニエンスストアーの駐車場では、原発の白い防護服を着替えていた警察官の姿を目にした。東北道への帰り途に原発の避難勧告を受けた飯舘村を通過したが、本当にのどかな農村で海から離れた村民の方々は、何故避難しなければ行けないのかと言う思いが強いのではないか?と感じました。人が生きる上でエネルギーは無くてはならないが、人間がコントロール出来ないエネルギーが本当に必要なのか?これから時間をかけて自分なりに考えて行きたいと思います。

今回の旅行に於いて、現場を見た事で、胸に大きな思いが広がった。百聞は一見にしかず、行く事で多くの物を自身の目で確かめられた事が、この大災害を通じてこれからの日本を考えて行く上で大きな意味を持ったと思いました。もう以前には戻れないのだと、これからの変化や困難を乗り越えてより良い国を作ることが、大げさかもしれないが我々の手にかかっているであると!

印象として残った写真が津波で全てを流された後に残る桜が満開で、これだけの災害があっても力強く残る桜は、明日は必ず来る、また季節は巡ると言っているようでした!

Special thanks : 北部ガレージ 鈴木様
              相馬市役所 総務課 落合様























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株式会社町田予防衛生研究所
TEL:042-725-2010
URL:http://www.mhcl.jp
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東日本巨大地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます

 
 3月11日に発生した東日本巨大地震により、犠牲となられた皆様に、深く哀悼の意を表すと共に、被災された方、そのご家族、関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 空白の空いたブログを記載する事が、この様な大災害がきっかけとなるとは!自分自身でも考えもつきませんでした。また誰がこの大災害を予想できたでありましょう。TVから映し出される凄まじい津波は、人々と建物とありとあらゆる物、全てを飲み込み、残されたのは、家族を失った深い悲しみと喪失感、家々の残骸を残して去って行きました。毎日TVより映し出される何百、何千の家族の方々が安否確認に走る人々、気丈にも被災地の方々は、自分よりも不幸な人がいるからと口々に言い振舞っておられる姿を見るとただただ自分自身が非力である事を認識すると共にただ頬から伝う涙以外に自分で何が出来るかを問う毎日です。

 阪神大震災もそうでしたが、時間の経過と共に起こる出来事に過去に忘れ去られてしまう現実があります。私自身は、今回の大災害を日本人の将来への大きな岐路と考えて、今までの物質主義からの大きな転換期であり、失った大切な人の絆を取り戻す大きな扉が開いたと前向きに考えて行きたいです。この大災害を将来何十年後かに振り返る時に被災者の方々を含めて我々国民が、その時、笑える事が来る事を切に願います。今だからこそ出来る事を自分で見極めて進めて行く事の重要性は皆感じていることですし、皆が行動して行きたい気持ちに駆られていると思います。しかしこの大災害の本当の意味での復興の道のりは長く遠い事を理解して、皆で本当にこれから日本人としての姿を考える時なのかと!

 原発を含めてまだまだ予断を許さない時ですが、戦後の復興を乗り越えて来た先人に習い、我々は、この困難を必ず克服できると信じて、正しい道を向いての1歩を踏み出して行動して行きましょう!
 
                      「頑張れ日本!」

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