大震災以降、自分で被災地に向けて何か出来る事はないかと日々TVで映し出される被災地の厳しい状況を見るに付け胸が締め付けられる思いが強く募っておりました。そんな折に同じ気持ちを持つ会社の仲間を見つけ、まずは行動に移す事にしました。
メンバーは、まだ頻発する地震の危険も伴う事を想定して同じ思いを共有する仲間で編成し、まずは現地へ行ってこの目で確かめて来よう、そして何か出来る事をしてこようと出発2週間前に結成しました。メンバーそれぞれが役割を決めて動き出した中で、長期に滞在が出来ない事を踏まえて必要な物資を求められる避難所に届ける事に決めました。目的地については、多くの議論を重ねて岩手県の陸前高田市と当社広報の戸田君の友人が相馬市役所の総務課で勤務する福島県相馬市に決定しました。 物資を購入する前に何を誰の手に届けるかについて長い議論を行い、弱者である老人や子供達へ必要な物資を届ける事と決定しました。また被災地に於いては感染症の被害が見られる様なので当社業務に繋がる衛生管理についての手伝いを行う為に手洗い方法のポスターや洗剤、アルコール消毒、うがい薬等を用意しました。また近所のよく使う飲食店の店長が今回の震災後にいち早く被災地へ出向き、津波で車が流されて困っている中で、車を持参して喜ばれた話を聞いていたので、迷わず車を手配する事を決めました。
車以外の物資については、スムーズに購入出来ました。車については、簡単に考えていましたが、調べて見ると被災地では、津波に多くの車が流され被災地向けに車ディーラーが全国で車を集めて通常の2倍から3倍の値段で売り買いがなされている有り様でした。その様な困った状況の中で、当社の営業佐藤君の友人で会社の修理等で協力を頂いている
北部ガレージ鈴木氏に相談すると2つ返事で快諾してくれました。驚く事に2日程で軽自動車と普通自動車を確保してくれた上に無料で提供を頂きました。今回の震災に付いては、本当に多くの方々の協力と賛同を頂きました。改めて感謝申し上げます!
全ての資材を調達していよいよ4月29日朝6時に集合し出発する。岩手までの道のりは遠く又、
連休初日と言う事もありあちこちで渋滞に巻き込まれた。そんな中でもメンバーの山本(sp)、小林(食品検査)、市村(食品検査)、戸田(広報)、池邊さん(コンサルタント)は、笑顔を絶やす事なくミッションを遂行出来た事は何よりであった。当日は一関に夜半に到着する。
翌朝7時に集合していざ始めに訪問する陸前高田に向けて出発すると同じ方向には警察車両や
自衛隊車両が多く走行しており一同に緊張感が走りました。 山々を通過する中でここが被災地なのかと思う程に途中の状況はのどかであった。遅い東北の春を迎えてソメイヨシノが咲き乱れていた。
山を下り暫く走ると目の前には、信じがたい光景が目の前に広がっていました。見渡す限りの瓦礫の山が遥か先に続く海まで続いていました。一同声を失った。TVで何回も見た風景をいざ目の前にするとあまりに大きい津波の被害を実感しました。まずは仮設の市庁舎へ向けい、現場に到着して総務担当の方と面会しましたが、あまりの被害の規模が大きい為に詳細の避難所の状況は、把握されていない様子であった。挨拶を済ませてから、事前に目処を立てていた老人ホームの松原苑へと向かうい現地に到着して用件を伝えて事務長の村上様と木川田様に物資をお渡する。当初の話だと50名収容と聞いていたが、行ってみると300名まで増えていた。現地のスタッフの方々は相当お疲れのことであると思う。何も手伝い事が出来ずに後ろ髪を引かれる思いで、次の施設へと向かう。市街に出て見ると愕然とした。5階建の建物の4階までが津波の飲まれており、あちこちで警察や自衛隊の方々が救助活動をされていた。まだまだ復興とは程遠い状況であり、戦場にいるような錯覚になった。次は少し足を延ばして大船渡近辺の小さな漁港に行くが同様に何処も津波による大きな被害を受けていた。三陸鉄道の線路が歪な形で曲がり折れていた。この惨状が500キロに続く太平洋岸全体に被害があると考えると、とてつもない規模で津波が起きた事が分かる。次に寄らして頂いたのは、避難所に指定されていた、体育館へ訪問させて頂いた。対応して頂いたのは、体育館の管理をされている方で、通常は、体育館運用をされている様子であった。今回対応された方々は、皆誰もが被災者でありながら支援を行っておられた。本当に頭が下がる思いであります! 陸前高田の訪問を終えて中継地の仙台へ向かいました。
翌日はあいにくの小雨混じりの天気の中に福島の相馬に向けて出発しました。ここでもそうですが、高速を降りて相馬に向かう途中は、本当に素晴らしい風景が続いた。いつか子供を連れて訪れたいと思う程に牧歌的な風景でありました。暫く車を走らせて目的の相馬市役所に到着すると戸田君の友人の
総務課に勤務する落合さんの手助けを頂き無事車をお渡しする事が出来た。その場で総務部長の菊池様のお話をお伺いする機会を頂き、相馬市としても市役所で3名が亡くなられて、市内では300名と多くの不明者がおいでになるとの事であった。市役所を後にして被災現場を視察に行くと此処も大きな津波被害を受けて海から離れた田畑に大きな漁船が乗りあげられていた。松林は根こそぎ津波に引き抜かれた惨状が続いておりました。
帰り道に6号線をいわき市方面に上り南相馬に入ると辺りは、人通りもなく多くの店も閉じられた様子でり、やはり多くの自衛隊車両と警察車両が見られた。暫く行くとバリゲートが張りめぐされて、そこから先へは通行禁止となり、その手前のコンビニエンスストアーの駐車場では、原発の白い防護服を着替えていた警察官の姿を目にした。東北道への帰り途に原発の避難勧告を受けた飯舘村を通過したが、本当にのどかな農村で海から離れた村民の方々は、何故避難しなければ行けないのかと言う思いが強いのではないか?と感じました。人が生きる上でエネルギーは無くてはならないが、人間がコントロール出来ないエネルギーが本当に必要なのか?これから時間をかけて自分なりに考えて行きたいと思います。
今回の旅行に於いて、現場を見た事で、胸に大きな思いが広がった。百聞は一見にしかず、行く事で多くの物を自身の目で確かめられた事が、この大災害を通じてこれからの日本を考えて行く上で大きな意味を持ったと思いました。もう以前には戻れないのだと、これからの変化や困難を乗り越えてより良い国を作ることが、大げさかもしれないが我々の手にかかっているであると!
印象として残った写真が津波で全てを流された後に残る桜が満開で、これだけの災害があっても力強く残る桜は、明日は必ず来る、また季節は巡ると言っているようでした!
Special thanks : 北部ガレージ 鈴木様
相馬市役所 総務課 落合様
************************
株式会社町田予防衛生研究所
TEL:042-725-2010
URL:http://www.mhcl.jp
************************